ペプシマンの持ち方ラボ 定期連載第四回
こんにちは。
今週も始まりました「持ち方ラボ・逆襲のシャア」のお時間です。
先日「機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginnig」を観賞したのですが、冒頭30分の無法ぶりに脳を焼かれました。
私は映画を見るという行為に対して、ある種のモチベーションを求めている側面があるのですが、湧くはずのモチベーションごと焼かれてしまったような気がします。
本コラムも、そのくらい強火なコンテンツになりたいものですね。
今回は、デバイスの試行錯誤を抜け出すヒントについて、強火に考察していきます。
麺とマウスパッド
ゲーミングギアが好きな人たちの中では「マウスパッドの中間層の好みと、麺の固さの好みは比例する」という認識が共通になっていると聞きます。
私はその限りではないのですが(柔らかいマウスパッドが好きで、固い麺が好き)、周りの回答を見る限りだと、血液型占いと同程度の信憑性がある様子。
これらの固さ(硬さ)を感じるプロセスは全く異なるのに、ある程度の相関関係がみられるのですから、つくづく不思議なものです。
ゲーミングギアに凝る。
それは、自身のパーソナリティを再確認する行為に等しいと思います。
マウスは、手の大きさと持ち方の形。
マウスパッドは、沈み込み方と表面の具合。
キーボードは、性能の吟味と打鍵感。
どれも、現実と感覚とこだわりとを駆使して選び、納得するまで選定を繰り返すことになります。
パーソナリティについて、特に思春期においては、模索を繰り返すことと思います。
まだ幼少期のようでいる精神と、急速に成長する身体のアンバランスさに、誰もが頭を悩ませる。
これは、先ほどのゲーミングギアに凝る過程でも発生することです。
現状のギアにある程度の満足感を感じていることと、もっとしっくりくる製品があるのではという思考が交錯する期間。
おそらく、収集家となっている方のほとんどが、これに該当します。
私はこれを、先ほどの思春期になぞらえて「ゲーミングモラトリアム」と呼称することにしました。
私は、ギアにおいても思春期においても、モラトリアムに大変悩まされ、必死に解決の糸口を探していました。
時が経ち、思春期においてはさておき、ギアに関しては思わぬ方向から、糸口が差し込んできたのです。
それが先ほどの「マウスパッドの中間層の好みと、麺の固さの好みは比例する」という言説。
個人的にその言説に違和感を抱いていたため、なぜその現象が起きるのかを深堀りすることに。
つまり感覚の言語化を試みたわけですが、この過程で得た知見が、私をモラトリアムから脱却させてくれたのです。
ゲーミングギアにも食い合わせ
マウスの持ち方において、マウスパッドが与えるインパクトは無視できません。
特に、滑走速度と滑り出しは、持ち方を正しく扱えるか否かを左右します。
ここでは、持ち方を
- 構造がしっかりしており、耐衝撃性が高いもの ※以下持ち方①
- 構造に重きを置かず、耐衝撃性を遊び(余白)に頼ったもの ※以下持ち方②
の二つに分けて論理を展開していきます。
補足:持ち方①はSmoggy選手のようなつかみ持ち
持ち方②はsomething選手のようなつまみ持ち
を浮かべていただくと、分かりやすいかと思われます。
マウスパッドのジャンルは、大きくスピード・バランス・コントロールの3つに分けられ、そこにグラデーションが存在することは皆さまご存じの通りでしょう。
しかしこれを滑走速度のみで考えていては、ジャンルを定義づけすることは難しい。
ここで必要になるのが滑り出し。
滑り出しが滑らかか、引っ掛かりがあるかを加え、総合的に考えることで決定されます。
先ほど二つに分けた持ち方は、滑走速度と滑り出しの取り合わせによって、パフォーマンスが左右されると考えています。
例えば持ち方②でコントロール系のマウスパッドを使う場合、
滑り出しに引っ掛かりがある→遊びによってマウスと指の反応にディレイが生じ、とっさの動き出しの際にモタつきやすくなる
滑走速度が遅い→力を込めて動かさねば理想の移動速度にならないが、力をこめると構造にほころびが出やすくなり、安定感を損なう
といったデメリットが生じます。
逆に持ち方①でスピード系のマウスパッドを使う場合
滑り出しに引っ掛かりがない→そこまで問題ではないが、スタート時の力加減を間違えると、想像よりマウスが大きめに動いてしまう
滑走速度が速い→上記に加え、ストッピング難易度が上昇
といったデメリットが発生。
もちろん、ストッピングの方式や、個々人の力み具合にもよりますが、適切でない組み合わせというものは存在しますし、逆も然りです。
目指せ最強のシナジー
関係性についてご理解いただけたところで、ここに腕の乗せ具合というエッセンスを追加します。
腕の乗せ具合とは、マウスパッドにどれだけ腕を乗せるか、ということ。
腕の乗せ具合は、すなわちフットワークの軽さに直結します。
Wo0T選手の例を見れば分かりやすいですが、作用点と支点がほぼ同箇所に存在していることが大きそうです。
そもそも、マウスパッドと持ち方の相性を考える前に、持ち方と乗せ具合の相性を考えねばなりません。
どちらかといえば、こちらの選定の方がシビアで重要です。
まず基礎として、持ち方の脆さは腕の乗せ具合で補うことができます。
腕を乗せるほどに前腕の安定感は向上し、持ち方にほころびがあったとしても、カバーできる範囲が発生するのです(Jinggg選手のセットアップが分かりやすいかと思われます)。
しかし、先述のWo0T選手は、比較的脆い持ち方ながら、浅めにしか乗せていません。
ここが取り合わせの難しいところで、基礎から逸れたものでも成立する場合があるのです。
もう少しWo0T選手について考えてみます。
彼が何故この取り合わせを実現させられているのか、もっと言えば、脆さをどのようにしてカバーしているのか。
これは指がマウスパッドへ与える圧力にあると考えています。
彼の持ち方において重要なのが
人差し指が親指側に曲がっていること
薬指と小指が一体化していること
親指の腹でマウスをがっしりとホールドしていること
の3点。
これはJinggg選手の持ち方に共通することで、これらを意識すると、操作時にマウスパッドへかかる圧力が均等になりやすくなります。
この圧力をより安定化させるための工夫が、腕の乗せ具合。
手首までを乗せ、肘をだらりと机の下までおろすことで、肘に常時重りがついているような状態が発生。
ここに最終要素、腕全体の脱力を加えることで、圧力が極限まで一定になり、操作時のブレが少なくなります。
ここまでの考察を見て、では持ち方の構造さえしっかりしていれば乗せ具合は浅くてもよいのか、と考えた方もいらっしゃると思いますが、実はそれに該当するプレイヤーはいまだ観測できていません。
この現象に関して様々考えたのですが、最も有力なのが、持ち方の構造は前腕の環境に依存しているという説。
s1mple選手・smoggy選手・primmie選手は、特に構造がしっかりしているプレイヤーなのですが、これらの選手は全員3/4以上を机に乗せています。
逆を言えば、己が持つ不安定さを補うために乗せている状況。
持ち方は前腕の延長線上にあるため、少なくとも前腕の不安定さを受け継いでいる可能性があります。
つまり、不安要素を極力取り除くために、慢心せず持ち方の構造をしっかりとさせているのです。
さて、ここまでの話をまとめると
- マウスパッドの特性は、持ち方に対しインパクトを与える
- 腕の乗せ具合は、持ち方の基盤となる
- 腕をあまり乗せないプレイヤーの持ち方は、大方の予想に反し不安定さを孕むものである
となります。
プロに見る組み合わせの真価
先述の3要素を、これまでに紹介したプレイヤーにあてはめて考えてみましょう。
smoggy選手は、腕をしっかりと乗せ、構造のしっかりとした持ち方を用い、ARTISAN 99式(コントロール系のマウスパッド)を使用しています。
99式は滑り出し・滑走速度ともに重たいフィーリングを与えますが、安定感の権化のようなセットアップをしていることと、ミドルセンシを使用していることより、非常にマッチしていると言えると思います。
Wo0T選手は、腕をあまり乗せず、脆くなりやすい持ち方を用い、Logicool G640s(バランス系のマウスパッド)を使用しています。
G640は中間層・滑り出し・滑走速度ともに並みであるため、セットアップの邪魔をせず、本人の意のままに操作しやすい環境を作ることが用意になる。
スポンサーの影響かはさておき、結果が出ている以上、この選定は正解と言わざるを得ません。
primmie選手は、腕をしっかりと乗せ、構造のしっかりとした持ち方を用い、ARTISAN 疾風乙 SOFT(スピードバランス系)やARTISAN 零 SOFT(バランス系)を使用しています。
smoggy選手と共有している要素が多いので、マウスパッドのジャンルに違和感を覚えるかもしれませんが、センシが高いこと・腕をあまり大きく動かすべきではない配置であることより、逆に滑り出しが滑らかなものの方がセットアップの邪魔をしません。
このように、まず腕の乗せ具合と持ち方を完璧に作り上げ、その特性を理解し、マウスパッドを当てはめることが、ゲーミングモラトリアム脱却に必要な手順であるわけです。
しかし、外れ値が存在し、自身がそれに該当する可能性があるのもまた事実。
この事態が起きた場合、どうするべきなのでしょうか?
ヒントは、やはりプロ選手にあります。
プロのセットアップを参考にするのはもちろんのこと、そのセットアップを作り上げるにあたってどのような思惑があったのか、特徴をどのように活かしているのかを観察することで、糸口をつかめる確率がぐんと上がります。
たとえそれが自身にフィットしない解決方法であったとしても、可能な限り考えた経験は、その後の人生において、決して無駄にはなりません。
実際に、私は4年越しに経験が活きたことがあり、進撃の巨人の伏線回収を見たときのような衝撃が走りました。
おわりに
考えることは、楽しい。
現代社会において、その感覚を得ることは非常に難しいですが、思考することは全人類へ平等に与えられた娯楽。
古代ギリシアでは娯楽として学問が発達し、その娯楽が、現代のテクノロジーの礎となっています。
少しでも、無駄だと思う事でも、深く立ち入ってみることで、灰色に見えた街は色づき、風の匂いに気づくことでしょう。
今日はこれだけでも覚えていただければ、光悦至極に存じます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
面白いと思っていただけたら、Xのフォロー、YouTubeのチャンネル登録を是非お願いします。
関連商品

